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  • 自分の思考は自分でしか変えられない

    やってみなきゃわからない
    失敗してもやったことに意味がある
    なんて、よく言われたりする言葉…

    私はやらない後悔より、やる後悔を選ぶほうだから、行動力はあるかもしれない

    でも、中味はガチガチに不安でいっぱいだから
    緊張しているのが相手に伝わるケースが多い

    それでも、チャレンジは続ける
    行動と中味がチグハグのまま…

    わたしは、行動と中味がチグハグなのが、ずっとコンプレックスだった

    もっと、自信を態度にも表したいし、行動力ももっとひろげたい

    ただ、いざとなると足がすくむ場面もたくさんあった
    足がすくみながらもやっていたこともあった

    なりたい自分、理想の私を目指して
    しかし、ふと気づいた

    それは、今の私、現実の私を、ある意味否定している
    というか、受け入れていないことになっていた

    だから、常にガチガチに不安だったのではないか

    ほかの人より不安になりやすいのは、性格の一つでもある

    しかし、理想の私を追い求め続けていたから
    不安の霧が、自分の中から生み出され続けていたのではないか、とも思う(前に書いた「霧」の話は、「型」の押し付けにも書いた)

    なので、周りが希望を持たせるために言った言葉であっても

    本人がその言葉を受け入れる準備ができなければ、響かない

    ずっと霧の中にいるんだと思う

    でも、その霧を作っているのも、晴らせるのも、私自身なのかもしれない

  • 価値

    価値について考えてみた

    収入に対しての支出
    収入が多ければ、支出もある程度増やすことができる

    でも、その支出の中身はなんだろう

    1000円のジーンズと10000円のジーンズの違いは?
    レア? 手間? デザイン? 送料? 時間?
    どれも、作る人や届ける人のコストだ

    コストは値札に載る
    でも、私にとっての価値は、値札には載らない

    収入が多ければ多い程、選択肢が増える
    でも選択肢があればあるほど、人は迷う

    その迷いの先で選んだものは、結局、自分がほしいものなのか
    それとも、他人から見て羨ましいと思われるから、ほしいのか

    これは、物だけの話じゃないのかもしれない
    人もそうじゃないかな

    肩書きとか、見た目とか

    その人自身ではなく、その人といる自分がどう見られるかで選んでいることがある

    昔は、私もそうだったかもしれない
    でも今は、少しずつなくなってきた

    私自身もラベルで見られてきて、私自身を見てもらえている感じは、あまりしなかった

    だから、ラベルで選ぶ空しさが分かるようになったのかもしれない

    前のブログにも書いたけど、昔から、「変わってるね」と言われてきた
    変わってるって何だろう、と悩んだこともある

    でも今は、自分の変わっているところが好きだ
    ありのままの私を受け入れたら、前よりもっと変わった

    ラベルをはずしたら、迷いが少し減った

    他人のラベルをはずして自分を見るようになったから、ほしいものも少しずつ見えてきたのかもしれない

    自分のほしいものが、本当に見えている人っているのかな

    他人の評価じゃなくて、純粋に心からほしいと思うもの

    なんて考えてみた

  • バタバタした日は、何を教えてくれたのか

    急遽、迎えにきてほしいと連絡があった日

    迎え先は車で30分くらいかかるところらしい

    私は車が運転できないし、また土地勘も全くない

    おそらく相手は、私が運転できると思い込んでいて、土地勘もあると見込んで話していた

    それが、ここでの普通だから

    でも、私はここでの普通で過ごしてきた人ではない

    だから、最初から話が噛み合っていなかったのも大きいと思う

    とりあえず、早く動かなければと思う私なので、タクシーの手配をした

    なぜなら、動けるのが私しかいなかったから

    その直後、お迎えがキャンセルになった

    タクシーも急いでキャンセルしたが、焦っていたので手間取った

    また、お迎えのキャンセルの連絡が話の途中で終わっていたので、きちんと話をききたくて、再度相手先に連絡した

    その結果、情報が曖昧なまま話が進んでいたことがわかった

    私に連絡をした相手は別の第三者から連絡をもらっていた この時点で私を含め3人

    他にも、状況を共有している人が複数いて、それぞれが考える答えもまだ出ていなかったのだと思う

    そして、相手に連絡した第三者も、私を土地勘があって車が運転できる人と思い、ここでの普通の感覚で連絡したんだと思う

    しかし、実際はそうじゃない

    だからより混乱したんだと思う

    ちょっとした軽めの相談が、タクシーの手配までいくとは思っていなかったのだと思う

    だからこれは、誰かが悪いとかではなくて

    構造でみると、私を含め、各々の思い込みで動くとぼやけてしまう

    ことの結果だと思う

    私も、急な場面では早く動くことで解決してきた過去のパターンから動いた

    相手も、私をここでの普通の中にいる人と思いこんで、過去のパターンから動いた

    ただそれだけ

    ちょっとした小さい波が、思い込みと関わる人数が多くなると大きな波に変わってしまっただけ

    ただそれだけ

    私の視点からみると、

    私は一人で対応しなければならず、相手は複数人だったからこそ

    私自身が消耗する負担が大きかったように思う

    だから、少しモヤモヤも残った

    しかし、相手がその後、細かく連絡をくれたので私への配慮を感じたのも事実

    だから、私が置かれている状況(ここでの普通で生きてこなかった人)を少しは理解してくれたかなとも思う

    ある意味、違う環境で生きてきた者同士の、私の人生実験の出来事の一つかな

  • 離れないと思われる私

    昔から思っていたことがある

    永遠なんてない

    だから毎日後悔しない生き方をしようと

    そういう気持ちで過ごしていると、なぜか周りはわたしが離れることをしないと思い込む

    わたしは後悔しないように、生きてるだけ

    わたしはわたしの気持ちに誠実に生きてるだけ

    だから、周りは安心してリスペクトを忘れるのかもしれない

    ただ、わたしに対して、最低限のリスペクトが感じなければ終わりにする

    みんな矛盾しているし、わたしも矛盾している

    お互い様だから、わたしは指摘しない

    でも相手は、自分のことは特別扱いして、わたしには『普通は』と言ってくる

    自分は守っていないのに…

    だから気持ちが戻ることは、ほとんどない

    どう接してよいかわからなくなるから

    以前の様に話そうとしても、心の中に違和感を感じるから

    もう以前のような距離感に戻れない

    多分、これもわたしがわたしの心に正直に生きているからかもしれない

    その状態になる前に、相手に「リスペクトが足りない」と伝えるべきなんじゃないかと思う人がいるかもしれない

    でも伝える前に、もう気持ちが動いてしまっている

    どんな関係でも変わりつづける

    変わることが悪い事だとは思わない

    時代が変わるように、心も変わるのは自然なことだから

    関係性が変わって、リスペクトがなければ、それは終わるべき縁だったんだと思う

    お互いに、その方が楽だと思う

  • エゴと愛、自己犠牲

    わたしには二人の子供がいる

    性格も好みも真逆…

    喧嘩もするけど仲はとても良い

    ただ、大変なことはたくさんあった

    わたしのエゴで育てていたときもあった

    周りの視線を気にしていたときもあった

    ひとりは自分の意思を内に秘めるタイプ

    もう一人は自分の意思を外に表すタイプ

    タイプは違えど、私の思い描いていた育児とは程遠い育児だった

    あの時の私は育児で余裕がなくなって、追い詰められていた

    わたしに二人の子供がいるのは

    一人は子どものころのわたし自身を投影させたような存在

    この子はわたし自身の育て直しだと思っている

    もう一人は自分自身を大切にすることを教えてくれる存在

    自分が嫌なことは絶対しないから、今のわたしにとって気づきのような存在

    エゴの視点から見ると、二人とも育てづらいと思う

    もちろん、育児で我慢することが普通だったし、わたしの自己犠牲も進んだように思う

    我慢すれば、全部スムーズにおさまったし、

    自分の感情に蓋をすれば誰も傷つかないって思ってた

    愛の視点からみると、新しいわたしになるための気づきの存在なのかなと思う

    おそらくこの二人を育てることと、自分の気持ちを優先させること、この矛盾した気持ちのどちらも大切に扱うためにはどうしたら良いのかが

    私の今の課題なんだと思う

  • 過去に興味がなくなる理由

    わたしは長期的な目標に興味がない

    未来も過去も、今に重心があるから

    計画的じゃないタイプ

    ほぼ直感で決める

    現実はあとになってわかるから

    もちろん失敗も挫折も後悔も残るときもある

    でも時間がたつと、それがどうでもいいことになるのもわかってる

    だから、苦しい感情に飲み込まれそうになっても、自分で自分の機嫌はとるようにしてる

    自分でやらかしたことは自分のなかで時間をかけて消化する

    誰かに裏切られたと、後でわかってもやり返すことはしない

    それは過去の自分を否定することになるから

    自分の見る目がなかったんだと思うようにしてる

    自分の課題と向き合うきっかけだとわかったから

    やり返さずに、ただ終わりにする

    辛いことはたくさんある

    ただ楽しいこともたくさんある

    一つの縁が終わればまた新しい縁が来ることもわかっている

    だから過去を忘れていくのかもしれない

    ま、波はあるけど

    その揺らぎを味わえるようになったら

    人生楽しめるようになるのかな

  • 手のひら返しの構造

    AIドラマを見ていて気づいたことがある

    ヒロインと悪女がいて、周りが悪女に騙される話

    最終的にヒロインの無実が証明されて、悪女は因果応報の結末になるのだが

    これって現実世界でもよくある

    最初、周りは、見たいものを見て信じていた

    それは、悪女の話の方が自分達にとって都合がいいものばかりだから(とくにエゴを刺激されて、快感に感じるのかもしれない)

    しかし、真実がわかると、「騙された」側に回って被害者になる

    悪女を責めることで、自分たちの見る目のなさや課題から目をそらす

    反省じゃなくて、「騙された自分」を守るための怒り

    ヒロインへの後悔も、ヒロインのためというより、自分たちが楽になるためのもの

    愛じゃなくてエゴで繋がっていた関係に酔いしれていたからだと思う

    エゴが肥大化している世界では、誰しも陥りやすい

    それは私もふくめて、だと思う

    関連記事:飽きるのは構造がみえるから
  • 他人に興味がないのに、人に関心をもたれてしまう

    前のブログでも少し言及したが、わたしは他人に興味がない

    他人の感情をもらいやすいので疲れてしまう

    ある意味、防衛反応みたいなもの

    ただ、他人からは関心をもたれやすい

    あまり自分から主張しないからか、喋らないからか、また変わっているかはわからない

    周りからみても輪の中にいない私が特異的に見えてるのかもしれない

    関心にはポジティブなもの、ネガティブなものが混同している

    わたしは気づくけど、いつも気づかないふりをしていた

    過去の経験上、、反応するとエスカレートするから

    ここでもまた他人のエゴに巻きこまれる

    いつものパターンに疲弊し、周りに理解されないことに苛立ちをかかえていた時期もあった

    いまは、この前のブログにも述べたが相手の課題を背負わないようにしているので

    落ちることはあるが、前よりは引きずらないようになった

    ただ違う視点からみたら、私は満たされてるようにみえるのかもしれない

    満たされているように見えるから、相手が不満を持っている原因の元を口実に私に口出しをしてくる

    その課題は私じゃなくて、相手の課題

    私をはけ口にしているだけ

    そのことに相手は気づいていない

    優位に立つことに必死なのかもしれない

    でも実際は違う

    自分の機嫌は自分でとっている

    わざわざネガティブなことは話さないだけだ

    それは誰かを傷つけてしまうかもしれないから

    わたしは人に対して最低限のリスペクトを持って対応しているだけ

    そこに気づかない人たちが、表面だけで判断しているのだと思う

    だから私は、わかってもらおうとしすぎないことにした

    関連記事:オーストラリア
  • 相手の課題を、背負わなくなってきた話

    この間、姉と二人で話す機会を設けた
    私の発達検査の結果について話を聞きたいと言ってくれたから

    父と母には言わなかった
    父と母は高齢者だし、話したところで理解することもできないだろうから、話していない

    姉は「他人には理解してもらえないかもだけど、理由があるって自分で思えたから良かったね」

    みたいなことを言ってくれた

    最近、わたしは自分の開示を始めている
    少しずつ、本来の私を見せ始めている

    もともと変わっているとは言われていたけれど、

    それでも空気を読んで振る舞っていた部分もあるから、

    中にはびっくりするような人もいるかもしれない

    でも、理解されなくてもいいと思っているから、

    わたしはわたしでいいの

    周りと見ている世界が違うことを、話している

    身近なところで言うと、以前は、

    父と母にお世話になっているという気持ちが根底にあった

    だから、不満や愚痴を聞いても、ただ黙って聞いていた

    ただ、不満や愚痴は大体、その人自身の課題から出ていることが多い

    だから、相手をコントロールできない話は、やんわり受け流している

    これは、境界線の話でもあると思う

    相手の不満や愚痴は、相手の課題

    私が解決することでも、背負うことでもない

    聞くことと、受け取ることは別

    境界線があいまいだと、相手の感情まで、自分のものとして抱えてしまう

    だから私は、「聞くけど、受け取らない」ようにしている

    理解されなくてもいい、というのも、同じところにつながっている

    私の課題は、わたしでいること

    相手がどう思うかは、相手の課題

    前はできなかったことが少しずつ出来るようになったかな

  • 暇だと用事を探す癖

    私は、暇になると用事を探してしまう

    何もしない時間が落ち着かなくて、「何かやることないかな」と探し始める

    なぜだろう、と考えてみた

    私はほぼ一日中、考えごとをしている
    ボーッとしているようで、していない
    このブログを書きながらも考えている

    だから、一人でいると、周りから「表情がコロコロ変わるね」と言われることもよくあった

    私の考えごとは、表情によく出るらしい

    脳内で一人トークをしているからかもしれない

    そんな私が、脳内トークをしないときがある
    歌を歌っているとき

    イヤホンで音楽を聴きながら歌うのが好き

    カラオケは好きじゃないけど

    自分を癒すために、元気づけるために、一人で歌う

    もしかしたら、暇だと用事を探す癖は、have to思考が原因のひとつかもしれない

    歌っているときは、「歌いたい(want to)」だけで動いている

    でも、want toがないと、「何かしなきゃ(have to)」という思考が出てくる

    何もしなくていい時間に、安心していられたら、少し楽になるのかもしれない…

    みなさんは、暇なとき、どうしていますか?